「アンストッパブル」


TOHOシネマズ日劇で観てきました。リドリー・スコットとラッセル・クロウはよく組むけれどトニー・スコットとデンゼル・ワシントンももう何回めだろう。暴走列車に「激突!」のタンクローリーみたいな怪物性を意外と感じなかったり(トニスコはそこまで鉄道オタクでもないのかな、とつぶやいたあとで「サブウェイ・パニック」のリメイク撮っていたことを思い出した。でも未見・・・)たまにスピード感が希薄になる場面があったりなど乗りものパニック映画としてかんぺき!とまではいかないのですが、一方でお仕事映画として観るとすごく好感の持てる作品でした。つらい、しんどい、そのわりにはむくわれない、とついこぼしてしまいつつも自分の仕事にそれなりの思いをもって日々取り組んでおられるかたにこそぜひ観てもらいたいです。けっこう励まされるんじゃないかと思う。そしてわたしは映画のなかの気骨ある女子キャラを観ると無条件にうれしくなってしまうのでこのロザリオ・ドーソンには拍手を贈りたくなった。現場の男たちの「反乱」は彼女なくして成り立たなかったから。気合いを入れるとき髪をぐっとまとめるとかしぐさがいちいちかっこよくて、あれはわたしなんかがやったところで到底サマにならないな・・・。

向かいのピカデリーのチケット売り場はたぶん「ソーシャル・ネットワーク」目当てと思われる行列ができていた。

帰りは丸の内仲通りを歩きながら帰りました。写真はブリックスクエア。こんなにいっぺんにお店見てまわったの一体いつ以来だろうと思うぐらい見まくった!

「白いリボン」


水曜日なので会社帰りに銀座テアトルシネマで観てきました。パルムドールに輝いた全編モノクロームのミヒャエル・ハネケ新作。素直に書いてしまうとわたしこの監督の映画ほんとうに苦手。たいへんな力量のあるひとだとは思うのですが、今さらわかりきっている人間の醜怪さについてまるで新大陸でも発見したかのような大仰さで描くところがどうしても好きになれなくて、今回もその印象はあんまり変わらないのだった。時代の闇が絡んだ謎解きメインではないサスペンスという意味で前作「隠された記憶」の延長線上にある気もしますが、あちらが埋没した過去を暴いていったのに対して、こちらはのちのファシズム台頭への予見をふくんでいます。一見あどけないようでよく見るとツヤもハリもない子どもたちの肌が彼らの置かれた環境を端的に表している。個人的にはシアーシャ・ローナン似な村医者の娘役の子がいちばん印象に残りました。でもその村医者が長年の愛人である助産婦を口汚く罵る場面は正直げんなりしてしまった。村医者にというよりこういう台詞をふつうに書いてしまう作り手に。それはかつて「ピアニスト」を観たときに感じた嫌悪とたぶんおなじ種類のものだとおもう。

映画のまえの腹ごしらえに西洋銀座の地下でラザニアを食べました。薄く切ったゆでたまごが入っていてボリュームがあったなー。

マルタケ

きょうのお昼は焼肉屋さんのマルタケでユッケビビンパ。じつは来るのは2回めで前回はカルビクッパでした。ほとんどのメニューが700円前後なのもうれしい。ホールのおばさんは混んでくるとあきらかに余裕がなくなるのですが、きょうは空いてたのでふつうにこなしていました。少ないけれど付けあわせのキムチがさりげなくおいしい。

LANCOME TEINT MIRACLE

ふだんはリキッドファンデーション+パウダーで仕上げるのですが、だいたい両方いっぺんになくなるのでほんとうにまいってしまう。右のタン・ミラクはテカらず乾かずなかなかよいです。パウダーは色がつかないルースタイプが昔からだいすき。持ち運びやすいコンパクトにしたいのはやまやまなのですが、やっぱりお粉のきめ細かさや気持ちよさには代えられないのだった。

新春浅草歌舞伎

新春浅草歌舞伎の第二部、「壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)」と「黒手組曲輪達引(くろてぐみくるわのたてひき)」を観に行きました。

雷門は成人式のせいか人がすごかったー。

左から片岡愛之助中村亀鶴中村七之助市川亀治郎


黙阿弥作の「壺坂霊験記」は盲目の沢市と妻のお里の心中と再生の物語。お里役の七之助がとてもよかった。いっしょに行った母と知人は数年前玉三郎と踊っているのを観て正直きびしいと思ったそうですが、あのときとはくらべものにならないくらい上達していると驚いていました。わたしも半年まえに観た「義経千本桜」での静御前はすこし線が細い気がしたのだけど、今回は悲嘆のなかに強い覚悟がにじむお里をしっかりと演じきっていた。沢市役の愛之助海老蔵の件でへんに話題になってしまいましたが、もともと上方ではたいへんな人気者ということでいちど生で観てみたいとおもっていたひと。これは人気なのもわかるなー。メインの4人中いちばん端正な顔立ちをしていますが実際坊主のかつらをかぶっていてもいけめん!終盤の軽妙なお芝居はなんとなく二代目中村鴈治郎(わたしは映画の中でしか知らないけれど)を思い出しました。

つづいて「黒手組曲輪達引」。序幕は亀治郎の二役早変わりもお見事ですが、まさかの「龍馬伝」ネタが出てきて客席大盛り上がり。古典派は眉をひそめそうですが初心者にはこういうくだけた演出もありがたいです。二幕目以降は随所に歌舞伎十八番助六」のパロディが盛り込まれるのですが、元ネタを観たことがないのでイヤホンガイドの「ここは可笑しみを感じさせます」という紹介にも「はあ」という反応しかできない自分が悲しかった。でも最後の水入り(亀治郎演じる助六が敵から逃れるために本物の水が張られた巨大な桶に飛びこむ)は最前列の観客が水しぶきを浴びないようにビニールをかぶったり、恋人の揚巻(七之助)が豪華な花魁姿のまま駆け寄ってきたり(水びたしになった衣装はあれきりなんだろうか・・・)と派手な仕掛けでたのしめました。助六の父の仇・新左衛門役の亀鶴は上背があるので立ち姿が見映えよく、ときに亀治郎を食っていた。

帰りのロビーには日本髪を結ったうつくしい芸者衆の方々がいてじーっと見てしまったり、新年の晴れやかなひとときでした。

「音もなく少女は」ボストン・テラン

音もなく少女は (文春文庫)

音もなく少女は (文春文庫)

しかし、心から愛する相手に、自分が知っている中で最も強かったのは女だなどとどうすれば説明できる?その女性といるときが一番安心できるなどとどうすれば言える?

「・・・たとえ警察にはわからなくても・・・・・・今は。たとえわたしたちには逃げ通すことができても・・・・・・今は。これから何年も何年も肩越しにうしろを振り返って過ごさなくちゃならなくなる。ロメインに妥協した年月のように。ボビー・ロペスに対処しなければならなかった年月のように。そんなものは要らない。わたしたちには戦う強さがあるんだから。そんな年月なんかどこかへ蹴散らすふてぶてしさがわたしたちにはあるんだから」

信頼するマイミク&フォロワーさんが強くすすめてくれた1冊。1950年代以降のニューヨーク・ブロンクス地区を舞台に耳の聞こえない少女イヴと信心深い母親クラリッサ、さらにイヴに手話をおしえ第2の母的存在となるドイツ人女性フランを描いたハードボイルド・サスペンスです。3人を何度も絶望の淵に追いやる男たちの心身におよぶ暴力には映画「プレシャス」の虐待母が生ぬるく見えるほどの殺意をおぼえてしまう。ナチに聾者の恋人を殺されお腹の子どもを引きずり出されたフランの過去もふくめて、それは歴史の中でためらいなく繰りかえされてきた行為なのだと痛感します。それでも音のない生を受けたからこそ目でとらえられる以上のものを見続けてきた(また見ざるをえなかった)イヴの視線が下を向くことはない。次第に発揮してゆく写真の才能で時に世界と戦い、時に世界とコミュニケートする彼女は最後の作品「創造者/保護者/破壊者」をもって告解と同時に女としての存在証明を高らかに宣言する。この邦題もわるくないのですが、悪徳や堕落の吹き溜まりのような荒れ果てた街で傷ついても打ちのめされても力強く立ち上がる女性たちの姿にはやはり原題「WOMAN」がふさわしいと思いました。ぜひ映画化してほしい傑作。